2006年02月28日

ミュージックバトン

こないだ会った時にしたremuさんとの約束を守りますよ。
今年はちょっと積極的にバトンに答えてみます。
とりあえず、答えやすそうなミュージックバトン。

けどやっぱり、恥ずかしいから隠してしまえ。
そんなに面白くもないだろうし…。
見たい人だけ、下のボタンを押して見て下さい。
見る人ははじまりはじまり。
見ない人はさよならさよなら。


ばとんさんを読む
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2006年02月22日

不安定礼賛

寝坊しつつも映画二本立てに行ってきました。

一本目は『空中庭園』
想像よりも、ぐんにゃりと歪んだ、凶暴性を隠した映画でした。
カメラアングルにも拘ってました。
「一切の隠し事のない家族」に、あるはずのない
秘密が吐露されていく映画。
家族って何?って映画です。
秘密の落とされる場所が「住めるかも」しれない
「野猿」だったっていうのが面白いです。
観てない人にはわかんないか…。

二本目は竹中直人監督作品の『サヨナラCOLLOR』
予告にミュージシャンの名前が連ねられていたので、
てっきり音楽メインの映画かと、勘違いしていました。
実際は、ところどころミュージシャンが一瞬だけ登場していて、
けど音楽はそんなに前にでていないものでした。
原田知世さんかわいかった。
段田さんも普段あんまり見ないような役どころで、おかしかったです。
一瞬だけ出た原田郁子ちゃん(クラムボン)と、
あと片桐はいりさんがかわいかった。
どうせならビシバシステムのお二人も出して欲しかった。
竹中さんというと深夜の意味不明な番組を思い出します。

竹中さんの映画はあんまり観たことがなくて、
『東京日和』くらいです。)
知らなかったんですが、実はカメラというか、画づくりに注意する方
だったんですね。
喫茶店のドアが閉まって女子高生の後ろ姿を枠に囲うとことか、
なんかいくつか「おっ」と思いました。


さてちょっと反れますが、『空中庭園』は、監督が何かして
捕まってしまったことで、上映が危ぶまれたらしいですね。
私の感覚からすると、何故危ぶまれるのか、そこからわかりません。
作者がどういう人だったかと、作品は関係ないというか…。
以前、覚せい剤で捕まった某ミュージシャンのそれまでのCDが
全て撤去されたというのもありましたが、
その時もなんでだろうと首を傾げました。

今回捕まった理由はまだ知らないのですが、
たとえば麻薬を使ってたとしての話、
実は麻薬を使ってるときの作品の方がクオリティが高いってことあるんですよね。
精神が不安定の時の方が、自分の内面に降下して閉じこもれるから
そのときにする芸術表現って高くなると思います。
薬じゃなくても、芸術家は気が狂う人多いし、
自殺しちゃう人多いし。
死ぬか死なないか、瀬戸際のところで残す作品は、かっこいいんです。

オリジナルラブ田島貴男さんが、以前インタビューで
「不安定最高!不安定万歳!安定してたら曲なんてかけないですよ」
と言っていましたが、音楽にしても絵画にしても文学にしても、
そして映画にしても、そうでしょう。表現ってモノは。
私自身の経験から言っても、ストレス抱えてる時の方が
面白い絵が描けます。

私は暴力とかドラッグを肯定する気はさらさらありません。
けど、不安定さは讃します。
そして、「これは悪い事(と決められている)からダメ」という
安易な判断こそ危ぶみます。
(もし私が何かして捕まったら、
この文章も非難の的としてとりあげられるのでしょうけれど。)
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2006年02月20日

ミッシェルとミシェールとポーレット


ビートルズの「ミッシェル」って曲がすきです。
中期の曲は安定していて聴きやすいから、好きな人も多いでしょう。
けど安定しすぎていてあんまりという人も多いでしょう。
私はわりとどの時期のものもそれぞれ好きになれるので、
こうして「ミッシェル」も好きです。
フランス語まじりの歌詞は、かっくいい。
けどこれは、あんまり本文と関係ありません。


『禁じられた遊び』という名作を観ました。
映画に出てくるミシェールっていう男の子が好きです。
ミシェールはミッシェルと同じなのかどうかよくわからないのですが、
ミシェールと呼ばれているので彼はミシェールです。
ポーレットの為にというミシェールの気持ちが
ちょっとずつちょっとずつ出ていて、
ややコミカルに、オブラートで包まれながら
曲がっていってしまうのがいいです。
ミシェールをやった男の子は普通の農民の子らしいのですが、
役者顔負けの演技です。
フランス人の子供は、顔ももちろんかっくいい。


映画に出てくるポーレットって言う女の子も好きです。
都会出身のちょっと生意気なとこがたまらなくかわいいです。
ラストのワンシーンだけで涙できるという人が家族にいますが、
まさかぁと思っていたらほんとにそうでした。
優秀な女優です。
優秀な女優って、かっくいい。

映画全編通して、いい映画だと感じました。
家族のサイドストーリーも◎。
今年は名作を怖がらず観てみようかな。
名作はもしかしたらすごくかっくいい
かもしれない
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2006年02月18日

不変のうた


上杉昇ワンマンライブ@渋谷クラブクアトロ

中学くらいの時って、私は本当に不自然な子でした。
今思えば、ですけどね。
なににしても、オーバーにしないと生きられない感じで。
だから、当時から変わらず大好きなものってあんまりなくて、
片手で足りてしまうくらいにしか持ってません。恥ずかしながら。
アーノルド・ローベルの絵本
海野つなみの漫画
俳優、横内正
そして、アーティスト、上杉昇さん。
そんなもんで、本当に少ないけれど、
それでもずっと持てるものを持っていて、よかったです。
昔話終わり。


前売りチケットの番号が遅めだったので、
会場時間を30分ほど過ぎてから向かったのに、
道路に溢れる人・人・人。
結局開演も30分くらいおしてました。
一年ちょっとぶりに行く上杉さんのライブ。
私にとっても、だいじなだいじな日。

上杉さんはal.ni.coのライブでも見せていた白衣姿。
あとで脱いでTシャツ姿になっていましたが。
髪の毛も伸びていて、坊主ではありませんでした。
あの髪の毛の下に、角の刺青が隠れているのかな…

てっきり、「Blackout in the Galaxy」レコ発の色の強い
ライブと思っていましたけど、
蓋を開けてみれば
これまでの「上杉昇」の集大成的ライブでした。
前作ミニアルバム「L.O.G」の曲や、
al.ni.co時代の曲も多かったし、
一曲だけではあるけれど、WANDS時代の曲(「same side」)も出ました。

私は今も昔もロック好きではないのですが、
不思議と上杉さんには惹かれます。
しかもロック色が強くなった頃から惹かれていってます。
「Secret Night」や「TOY$!」を初めて聴いた時、
なんの躊躇いもなく「かっこいいー」と感じていました。
なんででしょうね。
はっきりとはわからないまま、ここまできてしまいましたけど。

MCはあいかわらず少なめ。
「最近ー、"WANDS時代からのファンです"って人も多いんだけど、
オメェら、al.ni.coとばしてんじゃねーよ!
聴いてねぇ奴は、ネットオークションとかで取り寄せろ!
al.ni.coとばすってことは、アレだよー?
ドラマの第1話と最終回だけ観てるようなモンだぞ!」
(何か言われて)
「細かい事はウルセエ(笑)!せっかくいい例え話してんだからよー」

「セイレン」(al.ni.co唯一のアルバム)はもう廃盤になってしまった
のでしょうか?
あれは私の人生名盤ベスト10には必ず入るくらい、
良いと思えるアルバムなので、もったいないです。

あともうひとつ、印象的だったMCは、
「今年で上杉昇15周年。これまで、一歩一歩、
足を踏み外してきたおかげで、ここまできました。
足を踏みしめてきた奴らとはワケがちげーんだよ!」
…なるほど。
と、妙に納得。

「THE GROUND'S NAME IS 零 」の際、一番だけ歌っていなくなってしまう
上杉さん。その後曲が終わるまで帰ってこず、メンバーも全員
ひっこんでしまいました。
何かアクシデントかと不安がる観客たち。
あんまり長く戻ってこず、どうしたのかとザワついたけれど、
淡々と機材チェックをするスタッフの姿などから、
たぶん本編の終了(これからアンコール)ということだったのだと思います。
長い長い、アンコール。
待たせるのは得意技、ですもんね。
その後ちゃんと戻ってきて、何事もなかったかのように歌い始めました。
あんまりひやひやさせないでください、ですよ。

けど15周年ですか。
私が本格的に追いかけたのは半分くらいの年月ですが、
いろんなことが、ありましたなぁ。
けど、ずっと好きでよかったです。
なんかこの2日間は、憧れの人に逢えて、感動でした。
他力本願セットリスト
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2006年02月17日

虫のわるい話

先日あるおともだちより、
「仙人関係の項目はどうなったんだ」との問い合わせあり。
わ、忘れてたわけじゃありませんよ。
ほら、ちゃんとやりますよ。
けど、今回は仙人というより道教よりです。

最近暖かい日も増えてきて、
花粉ももうすぐ舞うかも、という時期になりました。
つらいひとは本当に辛そうですね。
また、今年の冬は寒かったので風邪をひいた方も多いかもしれません。
くしゃみ、鼻水、発熱…
人はよく病をもちます。

道教では、病気は体内の三匹(と数えていいものかどうか)の
虫のせいだとされています。
そういえば日本でも、「虫歯」とか「虫の居所が悪い」とか、
「虫の知らせ」(これは違うかも。)、「虫の息」(絶対違う。)
というように、虫はよく現れますよね。
「ね。」って言ったって、こんな例じゃ納得いかないでしょうけど…
驚くのはその姿です。

頭部中央(上丹田)をに住む「青き老人」とも呼ばれる虫は、
どう見ても人間。しかも学者っぽい。着物まで着ちゃってる。
こいつは鼻づまりや、禿頭をひきおこすらしいです。
こいつさえいなければカツラなんて必要ないのに、と怒る人もいるでしょう。

心臓(中丹田)に住む虫はなんだかよくわからないけれど獣の姿。
通称「白き姫君」。何で獣なのか。そして何で姫なのか。
謎は深まります。
こいつは精神障害をひきおこす、惑わしの姫君です。
五月病とか、多分これのせい。

で、臍下(下丹田)に住むやつは、なんと牛の頭と人間の足をもっています。
通称「血まみれの屍」。おどろおどろしい感じですね。
こいつは胃腸障害や骨皮の病、あとこいつも精神障害も起こすようです。
私の胃の弱さはこいつのせいだったのか。

この3匹の虫(「三尸」)の図を是非見てもらいたかったのですが、
画像が見つけられなかったので、
下丹田に住む「血まみれの屍」だけ描いてみました。
こんなやつです↓

      P2160482.jpg

こいつのせいで私の胃は…!

こいつらを撲滅すれば長生きできるらしいのですが、
それには辟穀(米、きび、あわ、麦、豆など穀類を絶つこと)が必要らしく、
仙人になるには避けては通れない道のようです。
お粥のおいしい中国で、お米を食べちゃいけないのってすごいですね。
私にはこれはできそうにもありません…。
ということで、わたしはこいつと死ぬまで一緒のようです。
こいつに殺されてしまうかもしれませんが、仕方ありません。

「この前のあいつは虫の好かないやつだった。」
さて一体、どの虫でしょうね?
「腹の虫がおさまらない」場合は、臍の下にいる「血まみれの屍」なんでしょうか。

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あの日あの時

吉田喜重監督の特集上映も最終日。
私にとってのラストとして、『水で書かれた物語』を観ました。
また是非とも特集を組んでもらって、全作品観てみたいです。


最終日の野望。
監督と岡田茉莉子さんのサインをもらうこと。
映画上映前にパンフレットを買って、
上映後にサイン会に並びました。
私の観た回の次がほんとに最後の回だったのもあって、
ロビーは人だかり。
そんななか、おふたりはあくまで静かな空気。
監督にパンフレットを差し出して、サインをして頂くと、
監督は両手を差し出して、自ら握手へと動いてくれました。
思った通りの乾いた、すこしひんやりした、キメの細かい手。
前に並んでいた人が岡田さんと少しお話していたこともあって、
なかなか前に進めないでいたらば、
監督はもう一度、
握手をしてくれました。
岡田さんの手にはキレイな指輪にキレイな爪。
そして、上品な握手をくださりました。
おふたりとも、実は"やわらかい"方でした。

なんだか感動です。
さっき観た映画の、とんでもなく綺麗な主演女優がここにいる。
さっき観た、とんでもなくかっこいい映画を撮った人がここにいる。
で、サインもらってる自分。
握手してもらってる自分。
監督の作品の殆どは、私が影もカタチもなかった頃に撮られているのに、
こうしてファンになって、実際逢ってしまいました。
それ言ったら全部そうなっちゃうのだけれど。
けど、あー、あの時喜重監督を知ってよかったです。
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2006年02月15日

抽象的具体


13日に『嵐が丘』
15日に『煉獄エロイカ』と、
吉田喜重監督の映画を観てきました。

両日とも、監督と岡田茉莉子さんがサイン会で来ていました。
私もサインしてもらいたかったのですが、
お財布が寂しくてパンフレットすら買えなかったので断念。
『嵐が丘』では監督の舞台挨拶もありました。
エミリー・ブロンテの小説を日本の中世に置き換えた
作品ですが、喜重監督は二十歳台の時からこれを撮るのが夢だったそうです。
そのきっかけがバタイユによるエミリー・ブロンテについての論文
だったそうで、
「この作品は、バタイユとの共作です。」と言っていたのが印象的でした。

田中裕子さん、若い。
あんなスピリチュアルな役もできるとは知りませんでした。
そして今さらではありますが、
松田優作はいい役者でした…。

喜重監督の作品を観ていて、ふと思い浮かんだことがあります。
「繰り返し」のモチーフが、多い。
『さらば夏の光』での、男と女の対峙するシーンやキスシーン。
『血は渇いている』での、自殺の"再び"。
『嵐が丘』での、"遊女屋通い"、鳥居をくぐるシーン、"墓暴き"……。
今回のは原作があるから、もしかしたら意図されたものではないかも
しれませんが、なんとなく、この繰り返しは
再生や輪廻といったものというよりは、単純な「リピート」。
サガ、といいますか。
人間、あるいは生物の
生と性と性(セイとセイとサガ)といったものがよく見られる気がします。


『煉獄エロイカ』は、もうめちゃくちゃで、
めちゃくちゃにかっこよくて、めちゃくちゃに難解で、
気が狂いそうになりました。
ファーストカットからラストカットまで、どの一瞬を切り取っても
ポストカードができちゃいそうです。
なんでこんなことができるのか、さっぱりわかりません。
思わず撮影した人の名前も調べてしまいました。長谷川元吉さん。
脚本も詩的で、素敵。

観終っても、かっこいいと難しいが同時にやってきます。
あまりに抽象的です。
けど、抽象って極めてしまえば何ものにも勝る具象であるし、
具象も極めれば、抽象そのものになってしまうと思います。
だから、きっとあまりに具体的、でもあるんでしょうな。
ややこしや。
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2006年02月11日

色は匂えど

めずらしく、おともだちと映画へ行きました。
オダギリファン同士、ということで…
『メゾン・ド・ヒミコ』を。

ゲイの老人ホームを舞台にした作品なのですが、
予告よりもずっとよかったです。
オダギリはほんと、シャツインでもかっこいいですね、remuさん。
卑弥呼役の田中泯も、
あの台詞と出番の少なさから
あれだけの存在感を映画中に出せるのはすごいです。
ルビィ役の人も、味が出てました。
あと写真の中のお母さんも、きれい。
西島君は、久々に(?)軟派な感じの役でした。
硬派向きではないかとも思うのですが、
しかし、オダギリもそうですが、
ほんとに男好きされる男性っぽいですね。

何気なく、映像もこだわりが見えました。
彩り豊かなブランチをなぞっていくシーンとか…
こういう静かな刺激って、好きです。

映画後にremuさんとの全く別の話題から出た言葉ですが、
「色っぽい人って男の人の方が多いと思う」。
ゲイの人はあくまでたくましくいるか、
どこか(もしくは全面に)女性的なところを持つか
どちらかが多いように思うのですが、
女性的な方(=中性的な方)ってやっぱり色気ある方が多いです。
それを持っている人がゲイの人とは限らないし
(ジュリーとか里見浩太朗さんとかも色気ありますよね。)、
下品になってしまうと台無しだけれど。
田中さんは色っぽーい人でした。
映画のために色気を出したのではなくて、
色気があるから映画に出たのでしょう、きっと。

「色」ってもしかして、女性のことなんですかね。
だから「色っぽい」は、男性の方がそもそも適しているのかも…?
なんて、また勝手に暴走です。
けど「色」っていう単語が、
名詞に性別を持つ各言語ではどっちなのか、それとも中性なのか、
気になるところです。
知っている方は教えてください。
2/3の答えで私は自己満足を得られます。
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2006年02月10日

貧血くらら

知久さんバースデーライブ@吉祥寺マンダラ2

まずは、謝らせてください。
ライブハウス後方で貧血をおこして
何度も立ったりしゃがんだりを繰り返していたのは私です。
たまたま私の周りにいたが故に、
気が散ってしまった皆さんすいません。
申し訳ないです。
ちゃんとホウレンソウも残さず食べます。


さて、ライブですが、
さすがバースデーなだけあって、大入りでした。
知久さんももう41歳。
全然そんな風に見えません。
じゃあいくつくらいに見えるのと問われても、
5歳とか80歳とか、ふざけてるのかと怒られてしまうような
ことしか答えられないんですが…。

開演前には珍しく知久さんの歌声が流れてました。
あんまり最近のライブで聴く曲じゃないな、と
考えたいたら、
なんだかどこかで聴いたことのある曲が。
あー!やなちゃん訳詞の「ハレルヤ」だ!
歌っているのは知っていたけれど、
実際聴いたことはなかったので、驚き喜びです。
がぜん何の音源なのか気になってきましたが、
結局それはわからずじまいでした。

バースデーということもあってか、
「くだもの」「おるがん」「あめふらし」「方向音痴」
などの古めの曲が多めでした。
「らんちう」を歌い終わってから、
「まさか41までうたってるとは、作ったときはおもってもみなかった」
と知久さんが言っていたのが印象的でした。

「あめふらし」、詞は知っていたけれど、
曲がついてるのを初めて聞きました。
まちがえててかわいかったです。
「方向音痴」、私は洗面所でぐったりとしながら聴いていましたが、
これは外で聴きたかった…。残念。
音はだいたい聴こえたんですけれど。
なんか聴いたこともないようなテノールの太い低い声で、
石川さんパートなども歌っていました。
いそがしそうに。たのしそうに。

お祝いにかけつけたサード・クラスを加えて、
正月の夜以来のコラボも。
「たんじょうびだからアレやって」という知久さんの
リクエストから、
サードの新しいアルバム、「愛くらら」から
2曲ほど演奏されました。
知久さんも口琴などで参加。


知久さんの調子はとてもよさそうで、
お客さんも皆たのしそうで、
つくづく自分が恨めしかったです。
ホウレンソウも、残さず食べます。

セットリスト(多分)
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2006年02月07日

自由の女神


二回目となるのですが、
『さらば夏の光』という、
吉田喜重監督、岡田茉莉子・横内正主演の映画を観に行きました。

これは私が吉田喜重監督に惚れこんだきっかけとなった映画で、
もともと横内正さんの大ファンであった
(中学の時から私は横内さん至上主義です。かっこよすぎです。
鼻血でます。声すてきです。離婚騒動なんかに負けないで下さい。)
から行ったのですが、
作品に度肝を抜かれて帰ったのでした。
画面も、音も、つくりがうまくて、
一年半前のその日の日記をこのたび読み返してみたら、
そうとう衝撃的だったようで、
今回も「すごいなー」と感じたところが
もう殆ど既に書かれていました。
普通、観終わってから日記書くまでの間に
いくつか書きたかったことは落としてしまうのですが、
きっと落とさないように大事に大事に、
けど興奮して一気に書いたのでしょう。

今回は、どちらかというと内容に留意しました。
すると、一年半とは比べようもない程わかりました。
それでも完全では、もちろんありませんが。
これは、私も少しは成長したということなのでしょうか。
それとも一年半前がよっぽど…。

初めて観た時は、男の気持ちしかわかりませんでした。
女への熱い衝動、追いかけること、夢中になること。
けれど今回は、女の気持ちの方がわかったのです。
自分を見失うこと、自由を失うことへの恐怖。
幾度となく女は男のもとを去って、
幾度となく男は女を追いかけます。
お気に入りのシーンは、ガラス越しの再会のシーン。
女が自身から自由になり、そして捕らわれていく姿の、
美しいこと。

自由でありたいと、私たちは拘束を避けているけれど、
立ち去ることがすべて自由かと考えると、
それは時には、何かに夢中になろうとする自分の
自由を奪うことにもなり得ます。

一年半前、監督は舞台挨拶でこう言いました。
「この作品のテーマは、
 女は男から自由になり得るか、です。
 女は愛から自由になり得るか、です。」

そもそも、自由って何なんでしょうね。
そんなことから考えさせられる映画でした。

吉田喜重特集は今月半ば頃まで続くので、
あと3〜4本観に行きたいと思ってます。
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2006年02月06日

5×2


『8人の女たち』は、実はそんなに好きじゃなくて、
しかも他の作品観たことないのに、
なぜだか「好き」って確信しているんです。
フランソワ・オゾン監督を、好きってはっきり言えるんです。
なんなんでしょうね。

そんな妙に「好き」のオゾン監督の最新作、
『ふたりの5つの分かれ路』
観にゆきました。
観ても、「やっぱり好きだったんだ!」という興奮もなく、
もちろん「実は好きじゃなかったかな…」と思うはずもなく、
何のギャップもなく、うんうん、と頷くだけでした。
うんうん、オゾン、好きですよ?
そんなの前から知ってますよ?という感じ。

時間軸を遡って、ある夫婦の「離婚から出逢いまで」のうちの
5つのシーンを辿るわけですが、
私が今まで観た「時間軸を遡る」手法で、
こんなにもはっきりした「理由」を語らないものはありませんでした。
ふたりが別れた「理由」、ありそうに見せかけるのだけれど、
そこは大胆に省かれています。
まるでそれを期待している私たちに冷笑を与えるかのように。
そんなものは、本当の理由ではなくて
自分たちがきれいに消化したいがために探してるだけものなのだと
言うかのように。


ここからはいつもに増して私個人の感想なのですが…
映画の5つのシーンは全て、「終焉」の空気を漂わせていて、
常に淋しく、ふたりはいつも「他人」のようでした。
あたりまえなんですけどね。
他人だから恋に落ちる。けど、他人だから別れる。
「他人」が理由になるかどうかは
その人次第という部分もあるのでしょうけど。

とりわけ綺麗だったのは、
保育器の中の子を見つめる女の顔のシーン。
子供は他人じゃないですしねぇ。
なんて、安っぽい言葉でしめくくって、申し訳ないです。
そもそも暴走しすぎですか、私。
オゾン層を破壊してないといいですけど。
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2006年02月03日

大家の家


2本で締めるつもりが、夜もついつい、
テレビでやっていた映画を観てしまいました。
三谷幸喜さんの2作目となる監督作品、
『みんなのいえ』

余談ですが、中国語では「みんな」のことを
「大家」といいます。
「おおやさん」じゃないですよ。「大きな家」でもないです。
「いえ」は中国でも「家」ともいうんですが…
この場合、「房子」だと思います。
場所としてか建造物としてかで違うのですが…。
正確な訳って難しいですね。
というか、ぴったり正確なんてこと、できませんよね。
ここで曲がると長くなるのでこの話はここまでにします。


三谷さんは、とても才能のある脚本家だと思います。
構成力もあるし、役者の特性を活かすことにかけては
群を抜いたセンスを持っているよう感じます。
一人の人間としても面白いし、
奥さん(小林聡美さん)も…。
あの夫婦ってほんと、おかしくて、すてきです。

それに勉強もかなりされているようで、
舞台がフレンチレストランでも病院でも建築現場でも、
その職業自身に個性を与えていられるようです。

ただ、今回観たものは、なんとなくですけれど、
ものたりなさがありました。
きっともっと狭い範囲を取り扱ったものの方が、
得意なんじゃないかな。
もっと、シーンを建築現場にしぼったり、
役者一人一人をクローズアップさせたり…
三谷さんは、ある程度の枠の中でこそ、
アイディアに満ちた世界を作り出せる人なのではないかな…。

また、やっぱり三谷さんは脚本家だな、と感じます。
監督にまわる必要はあまりないのではないか、と。
ご自身も、監督としての自分のことを
「映像に凝るタイプではない」と分析していますが、
やっぱり映画は、
あくまでも「画を映す」ものだと、私は考えるのです。

起きている時間の1/3を映画に費やしてしまいました。
しあわせ。
posted by Cui at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

to be or not to be

鬼は外、福は家。
節分だったわけですが、冬の締めくくりには
やっぱり映画です。
これ書いている2月7日現在、窓の外は雪景色ですが、
もう締めくくっちゃったのですからこれは春の雪です。
節分でなんだか面白いですよね。
豆まきについてとか鬼についてとか、
調べて書きたかったのですが、期を逸してしまいました。
いつか書けたらと思います。

『亀も空を飛ぶ』『クレールの刺繍』
と、二本映画を観てきました。

『亀〜』のほうは、『酔っぱらった馬の時間』でファンになってしまった
バフマン・ゴバディ監督作品だったので、
わくわくして観に行きました。
イラン映画って好きです。
もちろん日本に入ってきているのなんてほんの一部なのでしょうが、
そのクオリティの高さには脱帽します。
いいものを入れてるのか、
いいものだらけなのか、わかりませんが、
イラン映画は、深くて濃くて、きゅんとしてしまいます。

しかし、今なお続く戦争の話なので、
やっぱり重いです…。
『酔っぱらった〜』よりもずっと直接的な作品だった気がします。
個人的には『酔っぱらった〜』の方が好きなのですが、
しかし、それだけ直接的にさせるものが
あの戦争にあるのかと考えると、
重みが増します。
「リアルタイムの叙事詩」という言葉は、ぴったりでした。

むこうの子供たちは本当にかわいいです。
おじいさんたちも。
彼らは私たちよりも「死」の確率が高くて、
その現場から離れられないでいるというのに、
「生きている」感が強いです。
(自分たちのみが)生きることを当然だと笑って、
死んだ目をもっている人と対照的で。


さて二本目、『クレール〜』ですが、
これはこれで、命に関する問題です。
子供を育てるつもりがなく、産んだら里子に出そうとする
少女と、息子を失ったばかりの女性、
それに、女性の息子を死なせてしまった、少女の友人の兄。
3人の関わりが、丁寧に綴られてます。
先を急ごうとせず、ほんとに刺繍のようにゆっくり進んで、
押し付けがましくなくて思っていたよりもいい映画でした。
少女の弟がいい味出してました。


ふたつとも、子供がカギとなっています。
カギはドアを開くことも閉じることもできます。
開いた方がいいか、閉じたほうがいいかなんて
わかりませんが、
カギをどっちにまわすかは、慎重に考えないとです。
福がうちに入ってくれるといいですが。



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2006年02月02日

今もって、今を持たず

ルイ・マルという人はなんだか謎めいています。
観る作品観る作品、イメージが全く違うのです。
前に『死刑台のエレベーター』『地下鉄のザジ』
同じ監督と知って驚いたということを書きました。
今回観たのも、全然違いました。
氷みたいに張りつめた、透明度の高い作品です。
『さよなら子供たち』

ユダヤ人の男の子と過ごす短い期間。
ナチスのユダヤ人迫害が背景にあるけれど、
社会的というよりは、あくまで男の子の心理描写がメインになってる
作品です。

フランス人の子供って、どうしてあんなにもかっこいいんでしょう?
彼らは「子供」という、全く違った生き物みたいです。
こぎれいで、「かっこ」ついてて、
残酷さまでも潔い、純粋さを持っています。
それで毎日生まれかわってるんじゃないかと疑いたくなるくらい、
まあたらしい、密閉されたような雰囲気を持っています。
日本の子供は大人への過渡期のような感じがするけれど、
フランスの子供はただひたすらに「少年期」だけです。
日本の子が線なら、フランスの子は点。
日本の子がひとつづきの巻物なら、
フランスの子はページをめくって進む本。
そんな感じがします。

小学生の頃だったか、私は「今」について考えました。
考えているうちに「今」は「今」じゃなくなってることに気付き、
私は「今」を持たないのかと、持てないのかと、
漠然とした恐怖感にみまわれました。
(暗い子供ですね…。)
「今」はよく使う言葉だけれど、
私の使う「今」はほぼ100%「現在」のことでした。
高校の時、太宰の作品のなかで似たようなことが
ちょっとだけ書かれていて、
それはなんだか嬉しかったんですが。

けどフランスの子は、「今」を持ってるように感じます。
私はまだ手に入れていない「今」を、
当然のように身につけているようです。

「今」、どこにいますか?



太宰の言葉
posted by Cui at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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